楽天での買い物なら2000ポイントボーナスの楽天カードがオススメです。

 

辛子明太子の歴史

ここでは明太子の歴史について触れたいと思います。

明太子の原料となるスケトウダラを加工して食べるという習慣は、実は日本で始まったものではないのです。

このような習慣を初めて行ったのは、17世紀の朝鮮半島から広がったといわれています。この頃の日本は江戸時代でした。満州から帰国した日本人によって明太子が日本へ伝えられたと言われています。

その後、戦前から戦中の頃にかけて、当時日本領であった朝鮮(現 韓国)の一般料理として普及していましたが、当初は日本人の口に合わずに人気が無かったようですね。

今の釜山と下関との間に連絡船が運行されており、昭和初期にはスケトウダラの卵巣が輸入されていました。

さらに下関では日持ちをよくするために唐辛子を使用することで、長持ちする明太子の開発に成功させていました。

実際のところは韓国のキムチのように唐辛子やニンニクを使用していたことを真似たとも言われていますが、この段階でもまだ日本全国では明太子は定着していません。

明太子が日本全国へ広がった

その後、日本全国に広がりました。

それが1975年に山陽新幹線が博多駅まで開業したことで、日本全国に爆発的な人気が起こり、辛いものブームが日本全国に起こり、このブームの追い風もあって、急速に一般家庭にまで知られようになりました。

1980年には一般家庭以外でも急速に広がりをみせて、百貨店・量販店で広く販売されたことで、お土産としての販売ルートも整い、現在ではコンビニエンスストアのおにぎりの具や、食品加工会社のパスタの具として幅広く明太子が普及されていきました。

明太子の名前の由来は前述したとおり朝鮮語から来ており、韓国では明太子の原料であるスケトウダラのことを明太(ミョンテ)と言われています。

その明太(ミョンテ)の子供のことを日本では「子」という言葉を組み込み、明太子(めんたいこ)」と呼ばれるようになりました。